私は、日本の農林水産省からの出向により当館において農務官(agriculture attaché ) として勤務しています。ロンドンに所在する各国の在外公館には、日本のほかにも、米国、カナダ、EU諸国ほか多くの国から農務官が派遣されています。
なぜ商工業やサービス産業の先進国である英国にそんなに多くの農務官が勤務しているのか疑問に思われるかもしれません。
その理由の一つは、英国・ロンドンが昔から貿易と商業の中心として栄えてきた歴史を背景として、当地には、穀物、砂糖、コーヒーなどの一次産品に関する国際機関がおかれているということがあげられます。
もう一つの理由は、英国が「農業」の先進国として重要な位置付けにあるということです。多くの外国人にとって、英国と聞いて真っ先に思いつくイメージは、自由貿易を推進し、経済的活況に沸く国、あるいはミュージカルや演劇に代表されるような一流の芸術と文化の国ということではないでしょうか。旅行者として短期間にロンドンに滞在する限り、英国のイメージがこのようなものであることはおそらく間違いはないと思いますが、一旦都心から離れて、電車や自動車で郊外に向かって30分も移動してみれば、景色はがらりと変わり、辺りには素晴らしい景観の田園風景が広がっているのを見ることができます。英国の農業の現状が市民の日常の関心を呼んだり、国内の報道機関において大きく取り上げられることは少ないと思いますが、英国の国土の実に77%が農地であり、これを全就業人口のわずか2%に過ぎない農業者の手により管理されているという事実は、英国のもう一つの豊かさを支えている基盤として、英国市民ももっと認識を深めるべきことであろうと思います。

歴史を振り返ってみれば、英国の農業も常に幸福な状況にあったわけではありません。過去においては、自由貿易体制の下で海外から安い農産物が流入し、国内生産が低迷した時代もありました。その結果として、先の2度にわたる世界大戦の期間においては、戦勝国となった英国においても深刻な食料不足にも見舞われました。その反省に立ち、戦後、英国においては国による農業の振興と生産の拡大に努めた結果、現在においては、穀物の自給率は100%を達成し、カロリーベースの食料自給率75%、農家1戸当たりの経営規模はEU加盟国中最大を誇るまでになりました。
同じ島国でありながら山林が国土の7割を占めており、限られた平地を住宅地、農地、商工業用地で分け合っている日本において、英国農業の模倣をそのまま実施するのは困難とは思われますが、それでも我が国の農業が英国の成功の事例から学ぶことができることは少なくないと考えます。
最後に、PRを兼ねて、私の当地における担当業務の一つについて御紹介したいと思います。日本は、世界有数の先進国・工業国とのイメージが一般であると思いますが、国内農業と食品産業も日本経済にとって重要な位置付けを有しており、これらの産業が国内GDPに占める割合は約10%、金額にして2000億英ポンドにも上ります。
一方、2006年に日本から英国へ輸出された農産物の総額は、約1,300万英ポンド、日本からの総輸出に占める割合は0.2%に過ぎません。現在の日本からの輸出品は、日本酒、醤油、緑茶などが中心となっていますが、日本の食文化が英国をはじめとする諸外国においてポピュラーになりつつある中で、今後はこれらの伝統的な加工食品に加えて、日本産の質の高い農産物が、英国のマーケットにおいても今後大きく受け入れられていく可能性を有していると考えています。例えば、りんご、なし、ぶどう、メロンなどの果物の多くは、もともとは外国を原産地とするものですが、日本の気候と風土に適応させるため長い時間をかけて品種改良と栽培方法の改善を進めた結果、その味覚や香りなどの果物としての魅力は世界でも有数のレベルに達していると言われています。また、昨年、中国市場における輸出販売が開始された日本米は、中国産米に比べて20倍以上の価格にもかかわらず高い評価を受けており、今後更に海外への輸出の拡大を目指すこととしています。
昨年、日本政府は、2013年に農産物の輸出を現在の実績の2倍を上回る40億ポンド(1兆円)にまで拡大することを目標と定めたところであり、各在外公館の機能も活用し、この目標の達成のための取り組みを進めていくこととしています。日本の農産物の輸出促進により、日本と英国の経済的な結びつきをより高めるとともに、英国において、食を超えた日本の文化に対する親しみと理解を深めてもらえる契機となるよう期待しています。
(日本の食文化についてもっと知りたい方は、http://www.maff.go.jp/yusyutsu/panf/english.pdf をご参照ください。)
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