館員エッセー (7)
「領事のしごと」

参事官兼領事 井山彰弘

2008年12月
在英国日本国大使館
参事官兼領事
井山 彰弘

 

  私は、これまでに6カ国7都市の在外公館に勤務してきましたが、何故かヨーロッパでの勤務はありませんでした。今回初めてのヨーロッパ勤務、しかもイギリスのような文化と伝統のある国に勤務することができたことは至上の喜びとするところです。
  そのロンドンに赴任して2年半余が経ちました。過去の勤務地でも領事業務を中心に関わってきましたが、当館でも領事業務を担当しています。

  領事業務は、個々の在留邦人や邦人旅行者の生活・安全にとり欠かせないものであることはもちろんのこと、多くの国民が安心して海外へ出て行き、そこで様々な活動をしやすい環境を整えるという意味で、日本の経済発展や学術・文化面での向上、更には海外との人の交流を促進し、諸外国との友好・協力関係を促進するという意味でも非常に重要な役割を果たしていると言えましょう。
 

  「領事業務」と一言で言ってしまえば簡単ですが、領事業務は多種多様で非常に守備範囲の広い仕事です。 大別するといわゆる行政機関としての業務と自国民の保護に関する業務に分けることが出来ます。
  「行政機関としての業務」としては、旅券の発給、海外に在留していることを証明する書類の発給、署名証明等の各種証明書の発給、海外で婚姻された場合の婚姻届や海外でお子さんが生まれた場合の出生届の受理、在外選挙事務、任国国民が我が国に入国を希望する場合の査証の発給等が主なものです。
  「自国民の保護に関する業務」としては、海外において邦人が事故に遭ったり、病気になったり、犯罪に巻き込まれたりした際の支援業務があります。


  今日、海外に居住している邦人は100万人以上、海外に渡航する邦人は年間1700万人を超えていますので、これらの邦人が事故や犯罪被害に遭ったり、災害に巻き込まれたり、あるいは病気になったりするケースが年々増加してきております。当館が扱う援護案件のうち多くは窃盗被害や、旅券等の遺失によるものとなっています。その多くが空港到着時やホテルのロビー、レストラン、乗り物内、観光名所での被害となっています。
  このような被害が多いので所轄の警察に「日本人が、なぜこんなに狙われるのか」と聞いたところ、「日本人は無防備であり、多額の現金を持っている。また、体が小さく抵抗しない」との答えが返ってきました。これは裏返せば犯罪者自身の見方でもありましょう。邦人旅行者にとって被害から身を守る上で注意すべき点であり、旅行者自身が一層の防犯意識の向上を必要とされるところです。


  海外において領事担当官が行う援護活動は、犯罪被害、事故、災害、病気等の事案やその程度によって対応が異なってきます。また、休日であれ深夜であれ、連絡があれば、とにかく「現場」に行ってみなければなりません。場合によっては直ちに本邦のご家族等に連絡を取り合いながら処理しなければならないこともあり、領事担当官にとって最も緊張する難しい業務といえます。
  
  その具体的な援護活動のいくつかをご紹介しましょう。
  「ブルルルー、ブルルルー」けたたましい電話の音で起こされた。時計を見ると午前4時過ぎ。寝ぼけ眼で受話器を取る。受話器の向こうから、お休みのところ恐縮です。東京の外務省の海外邦人安全課の者ですが、先ほどBBCのニュースで英国西部の海域においてフェリー・ボートが火災を起こし、現在延焼中で、多数の乗客・乗員が乗船している旨報じている。ついては、邦人が乗船しているか、乗船している場合には被害に遭っている者がいるか否か確認し、至急報告して欲しいと言っている。電話の内容を聞いている内に、だんだん目も頭もさえてくる。早速TVのスイッチを入れる。BBCの画面でこの事件を報じるブレーキングニュースが流れている。取りあえず内容を聞き取り、すぐさま本省へ事件の概要と邦人被害者は居ない模様との報告をした。


  また、ある日ホテルから邦人が部屋で自殺したとの電話連絡を受けた。直ちに職員がホテルに駆けつけ事情を聴取した後、旅券情報等から、本邦連絡先を調べ、電話で連絡することとした。英国と日本では9時間の時差がある。日本は真夜中であるので、今電話連絡してもご家族は何もできないであろう。しかし、ことがことだけに連絡しなければならない。ご家族の心痛を考えると、どのような言い方をすればよいのか逡巡する。ご家族に連絡すると、本人とは家族の縁を切っているので、関わりたくないと無碍のない返事が返ってきた。ご家族それぞれ事情はあるとは思われるが、なんとも釈然としない気持ちの残る事案であった。


  ある日警察署から「挙動不審」の日本人旅行者をロンドン市内で保護したとの電話連絡を受けた。電話の内容は「どうも精神疾患ではないかと思われる女性が支離滅裂なことを言っている。言葉もよく通じないので日本総領事館の支援をお願いしたい」というもの。早速この邦人女性に電話口に出てもらい、状況を確認したところ、やはりどこかおかしい。本邦家族に連絡し、この女性の現状を説明したところ、精神科の既往症があることが判明した。この事案では、結局邦人女性が精神科の病院に強制入院させられ、病状が一定の快復をみた段階で、入院先の医師及び看護師が付き添い、英国側が費用負担するという寛容な取り計らいで、日本まで移送し、日本の親元へ引き渡すことで無事支援業務が終了した。それにしても「英国側の寛容な措置」には、大いに感謝するとともに「社会的弱者に対して非常に優しい国」であることを改めて認識させられている。精神疾患により英国の関係機関にお世話になるケースが近年漸増傾向にあります。


  英国では、私が赴任する前年(2005年)、テロによる7.7同時爆発事件が起き、多くの死傷者を出しました。テロ事件のように不特定多数の人々が巻き込まれるような場合には、本邦ご家族等から安否を確認して欲しいとする問い合わせが殺到します。また、報道機関からも、その事件の中に邦人が被災しているか否かが注目され、そのため邦人の安否が注視されることになります。安否確認には英国の公共機関(警察、病院)やホテル等にも協力を求めながら行わざるを得ませんが、個人情報保護の観点等から、なかなか被災者の情報を教えてはもらえず、安否確認を行うことが思うように捗らないのが現実です。
  英国には現在6万有余名の邦人が居住し生活しており、邦人の観光旅行者が毎日数千人単位で滞在していると推計されています。一旦テロ事件が発生すれば、邦人の安否確認作業は英国当局の協力にも頼りながら、当館としても全精力を傾注し行うこととなりますが、相当日数を費やすことにならざるを得ません。


  このように自国民保護に関する業務は、その対象事案はきわめて広く、その内容も千差万別です。従って、これら事案の支援にあたる領事担当官は、ただ単に法律的な知識ばかりでなく、当国の文化・社会慣習等の知識に加え、領事担当官自身の経験、人間性までが要求されることになります。
  邦人保護業務は、大半が個人に係わる問題であり、また、場合によっては被援護者自身やご家族の私生活にも深く立ち入らざるを得ないこともあります。個々の保護事案の詳細や領事担当官の苦労は外部や第三者に明らかにされることは殆どありません。その意味では縁の下の業務・地味な仕事と言えましょう。


  領事業務は何と言っても人間が直接の相手となる業務ですので、領事担当官の対応一つ一つが、良いに付け、悪しきに付け、すぐさま相手からの評価・反応に繋がってきます。特に領事窓口での職員の対応が、日本や在外公館に対する印象に大きく影響を及ぼすことから、「日本の顔」、「在外公館の顔」と言われるゆえんであろうと思います。


  このように多くの領事担当官が地味な任務、厳しい目の中で業務を遂行せざるを得ないにもかかわらず「やりがい」をもって取り組むことが出来るのは、領事業務がまさに「人と接する業務」であること、現実に目の前に困っている人がいること、外務省の基本的な任務の一つを担っているという状況があるからだと思います。


  年々海外渡航する邦人は増加の一途をたどっており、旅行の形態もパックツアーから少人数の旅行、個人旅行に変わってきております。渡航する年齢層も若年者のみならずご高齢の方々にまで広がってきていますので、今後は領事担当官が関わる事案や果たす役割が益々増加してくるものと思われます。
  海外へ渡航する際には、各々が渡航先・旅行先国の状況を事前によく調べ、「自分の身は自分で守る」という意識をもって行動することが、ひいては事故や犯罪被害を未然に防ぐことができるのではないかということを理解してもらう必要があるのではないでしょうか。


  今日もまた、忙しい一日になりそうである。